憧れと侮蔑と、窓の掃除を。
例えば人として信用できない上司に、注意されたりダメ出しを受けると、最初は心の内で悪態をつく。もっと周りとコミュニケーションとれって、部下と一切コミュニケーション取らず挨拶すらロクにしないあなたに言われたくないわ〜…みたいな。反発心。
けれどそれを何回も、何時間もとされていくうちに、実は自分の方が間違っていて、この人は私をよく見てる人で、私は実はものすごい仕事の出来ない、物事をきちんと見れていないダメ人間なんじゃないか、みたいな自分を煽る足音が聞こえてくる時がある。
一種の、洗脳のような。
きっと多分そういう時は、DV夫の妻みたいな心理状況なのだと思う。自分の感性を上手く発揮出来ず、歪んだ感覚のまま時を過ごさなければならない。これは、かなり、苦しい。
トラウマみたいになってる人が、過去に何人かいる。その人たちの洗脳から未だに抜けきれていない。もう二度と会わなくて済む人たちばかりだというのに。
最近、心がざわついている。
おそらくこういう心情の時の方が文章を書くのには適しているんだろうな、なんて、ポジティブな目線で自分を俯瞰してみたり。
全力で好意をもって接していた人たちと、会話が噛み合わない。噛み合っていない、気がする。
それは、また、私が、私の中の何かの価値観を変えてしまったからなのか、気のせいなのか、低気圧や花粉やホルモンバランスの乱れのせいなのか、よくわからないけれど。
一度ネガティブな思考回路に陥ってしまうと、疑う。神経を擦り減らし、有りもしないかもしれない「裏の意図」を汲み取ろうとしてしまう。ものすごく、ストレートな言動なのかもしれないのに。
イメージでいうと。
多分私はぬるぬるのぬるま湯で気軽にわーきゃーやっておきたいタイプ、そこにどっぷり浸かりたいタイプ、だと自分で思い込んでいる。
けれど意外と刺激やら向上心も持ち合わせていて、ハングリー精神が見え隠れ。
その波に自分を乗せてしまうと、それまで本心から楽しかったぬるま湯を、ぬるく感じ始めてしまう。私はここに、「こんなとこに」居るべきじゃない、みたいな、高飛車な精神が顔を出す。
一旦それを思ってしまうと、どうしてもその場が居心地悪くなっていき、より、高みを目指さないと、高みこそが自分の本来の位置だと、何か勘違いしてしまう。
別に私はそんな高尚な人間なんかじゃないことは百も承知なんだけど。
どちらかというとガチャガチャ、ワタワタした人間だし。
大衆的な物事への憧れと侮蔑。失礼極まりない。
この環境にいたらきっと私はダメになる、と思ってクラスメイトの誘惑を振り切り大学を受けたり。
この環境にいたらきっと私は自分のことを好きになれない、と思い会社を辞めたり。
この環境にいたらきっと私は一生独身、と思って上京したり。
この環境にいたらきっと私は中から腐ってゆく、と思い同僚と心の中で訣別したり。
思えばそうやって「私の中の高み」を目指してきたのかもしれない。他の人から見てそこは高みじゃなかったとしても、それはあんまり関係なく。
結婚、出産、育児を経て、漸くこの環境に落ち着いたな、と思っているのに。心の奥底で悪魔が囁く。いいの?このまま、この環境で。
周りはあなたをうまく利用するだけ利用して、あなたをそこに取り残していくかもしれない。
人間関係がある日突然オセロのように、周り中白が黒に変わることがあるかもしれない。
悪魔の囁きというより、何かに駆り立てられている恐怖心のようなものかもしれない。焦(あせ)らされて、焦る。そんなような。
また以前のように、旧知の人たちに対してある日突然「なんだ、皆結局、ものすごく優しい人たちばかりなんだ、私は愛されてて可愛がられてた」と気付いたあの時のように、多分気付きたいのだ。
何故か曇ってしまった心の窓を、キレイに。
キレイにしておかないと、大事なことを見失う。
そんな予感。