灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

春の嵐

書けないと思うときには、とりあえず書いてみることだ。

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今日は風がかなり、強い。

少し前に春一番とか聞いた気がするけれど、今日のこれはなかなか、すごい。

春の嵐だ。

 

洗濯物と植木鉢は早々に避難させた。これができるのが、在宅ワークのとってもいいところ。

今からこの強風の中、お迎えという大役が待っているが、本当なら雨予報だったのでそれがなくなっただけでヨシとせねば。

今日は朝の保育園までの送りと、晩ご飯まで夫が作ってくれるらしいので、楽勝だ。

ジェンダーギャップがどう、とか最近その界隈が賑やかだけど、誰しもその差別の枠組みを自分の中に抱いている気がする。というか、私たちの親世代はモロにそういう価値観で生まれ育ってたのだから、その元で育った私たちが完全に抜けきっているわけがない、というのが私の印象。できれば差はなくしてほしいしなくせればいいと思うけれど、今日の晩ご飯何にしよう、と考え「なければならない」のはやっぱり妻で母である自分の方だ。

そんなに苦にならない性質だからまだ、自分で自分が助かっているけれど。

これをやっぱり女だからかなーと言うと、あまり男女の違いはない、男脳女脳などない、と言い張る夫の意見は「ご飯作りたくなければ作らなければいいんじゃない?」とよく言う。それは「代わりに自分が作るから」ではなく、「たまには抜くのもいいしね」くらいのレベルでそう言われる。これ、私がひとり暮らしならそれでいい。けれど、自分の都合で子供のご飯を作らない(=飢えさせる)というのは微塵も考えつかないことで。

これでサラリと、「じゃ、今日私いらないから子供の分もよろしくね」と言って100%それで済むのならいいけど、「今日は仕事が」「今日はお腹空いてないからそもそも自分もいらないし」とか返ってくる可能性は低くない。以前書いたけれど、我が家はお互い、まず相手に期待をしない夫婦。(念のため、愛をもって、と注釈いれておく。冷たい関係なわけではない)

 

そうすると、やはり、期待しないようにする以上、子供の食事は私が自然と考える。そもそも夫はありとあらゆる「パスタ料理」しか作らない。栄養云々はパスタでも工夫を凝らしてとれるという持論らしいけれど、そんなにしょっちゅうパスタばっかり子供に食べさせるのもなぁ・・・みたいなのも私の「固定観念」の親心。

イタリア人、毎日どうしてるんだろ。素朴な疑問。イタリア人の友人はいないしな・・・

 

でもこの私の感覚も、専業主婦だった母の影響が多分、絶大なんだろうと思う。

「お母さん」という生き物は子供にご飯を与えるものだ、みたいなイメージが出来上がってしまっている。ジェンダーバイアスというか、生活習慣病みたいなものじゃないか。

だとしたら、慣れ親しんだ生活習慣を、一体何歳まで、変化させることができるんだろう。

別にIOCの会長とかの批判ではなく、70歳過ぎた人に今までの固定概念を変えろといっても土台無理な話しだ。ちょっと気の毒ですらある。

 

私の父方の祖父はそれはそれは厳格な人で、男が絶対、長男が絶対、みたいな人で、忍耐、勤勉大好き、みたいなその時代あるあるな人だったな…とか思い出しながら。今の時代は多分どんどんそういう古い価値観の人たちには生きにくい時代になっていくんだろうと思うけど、私が今いるポジションが、まだ「時代についていける」かどうか、自分を吟味しないといけない。こういう、パラダイムシフトが起きている真っ最中というのは、時代の先読みを失敗するとその後めちゃくちゃしんどくなる。…と、何故か確信に近い形で理解してる。

私の中のバイアスはどのくらいなんだろう。料理作るのが好き、とかもそう思わされているだけかもしれない。と思いつつ、息子に料理を教える。男女どちらもが当たり前に家事も育児も基本出来て、その上でお互い得意なことをやれば100%になる、という関係性が理想だ。

ま、誰かと将来一緒に暮らしたりするパートナーが、息子と同性でも同じことを思う。本人が楽しければそれでいい。

 

男は男らしく、女は女らしく、なんてバカげていてナンセンス、という時代が早くくればいいなぁ、と思いながら、それでも自分が好きだから、髪の毛を巻いたり、お化粧に勤しむ私でありました。

 

気圧がめちゃめちゃなのが、こういうことを考えさせるのかな、なーんて。

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