灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

義務こそ物の苦痛なれ?

家事の中で料理だけ難易度高すぎる、ていう人のblogみて。

※人のブログってリンク貼っていい?の?いいよね?(ダメなら誰か教えて〜)

おぉーホントだ、夜ご飯一食数人分作るのって、そもそも献立考えるから料理始まってる!!食器洗って醤油やドレッシングしまう、テーブル拭くまでが料理…

 

いくつも星を勢いでつけつつ、我が身を振り返る。エライな、私…よくほぼ毎日毎日、ご飯作ってるな…なんなら料理に一筋の光明まで見出そうとして「楽しむエネルギー」にしてる…私もめっちゃ偉いやん(笑)

 

そう、私は自分が作った料理出して、食事の最中に子どもがイタズラとかして夫が怒ってるの図が、めっちゃくちゃ、イヤで。せっかく美味しいご飯(見えないところで努力して)作ってるんだから、せめて楽しく美味しそうに食べてくれ、てのが、当たり前の前提として、ある。もう、太陽が西に沈むのと同じくらい当たり前の前提として。

 

時々、というか割と頻繁に、怒られる事をわかってて実行する4歳児。でもそーゆーお年頃だと思ってるので注意はするけど怒りは湧かない。けれどそこに厳しく注意する夫の声が入ると…反発して声を荒げる子ども、声を荒げられて更に叱る夫、子ども、泣く、みたいな構図になってきて…

 

どんどん、私のイライラが募る。

もーせっかく美味しい、好物を作ってるのに、みたいな。普通に食べてくれるだけでいいのに。子どもは美味しければ食も進むから、特に褒めてくれなくたって、楽しく食べてくれるということは美味しいということ。

 

…と、いうわけで。

私は料理はコロナのおかげか、作る回数も増えてきてなんだか趣味みたいな領域になってきてるけれども、それでも、「つくらねばならぬ」状態の、義務と感じてしまうご飯づくりは多分、人一倍、苦手。避けたい。逃げたい。自分から何食べたいかなーとか考えて作るご飯づくりとは雲泥の差があり、同じ家事とはとても思えない。

 

むしろそう、そこに哲学が含まれてる気がする。してきた。なんとなく。

自主的にやる家事炊事と、義務感駆られてする家事炊事。そもそも、同じ名前でくくってしまうのがよくないのではないか。(何を言ってるのかわからなくなってきたけども、この思考の先に一筋の光がみえる・・・気がしない?)

 

私はアホほど鶏肉をリスペクトしているので、鶏肉のいい具合に焼けてきた感じとか見ている最中は「これは家事だ」とか意識してないわけですよ。ただ、今ある素材を最大限美味しく調理することに命…はかけてないけど、それだけが目的で、無心で肉焼いてる。だって鶏肉好きなんだもん。

 

好きこそ物の上手なれ、とあるけど、義務こそ物の苦痛なれ、みたいな逆張りver.の言葉があってもいいんではないか、なんて。

あ、ちょっと私いいこと思いついた。ってことで今日はここまで。

おつまみだらけの料理↓w

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