灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

仕事ができる人、の定義。

私尽くす女なの、という女性で「相手に求められている尽くし方」をしている人を見た事がない。

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仕事ができる人、というのは定義がとても難しいと思う。

最近になって私が思うのは、「相手にうまく伝わるように的確な指示を出せる人」というのは仕事ができる、という一つの指標になるのではないかと。

前の会社のボスは、とにかく指示をしない人であった。それだけならまだしも、自分の中にある結論を読み取って汲み取れという。そんな無茶な。部下はエスパーではない。

最終的に気づいたのはこの人は「理想的な結論」がさも自分は気づいているフリをしながら、相手に考えさせ、思ったように動かなければNOを突きつける、自分の中に結論がきっちりあるわけではない。ただそれだけの仕事とも呼べないことを仕事にしていたのだった。

※その後、ボスも私もねずみーらんどの買収煽りを受け、二人とも解雇された。

 

なんだったんだろう、「間違ってる方向にいってたらちゃんとそれは私が見て軌道修正するから。その為に私がいるのだから」とさも、いい上司が言いそうなセリフを聞いたあの無駄な時間は。軌道修正どころか、本人の方向性も間違っていたということ。

 

今の会社の前の上司は、最初はよくわからなかったが、結果としてただひたすら、「仕事やってる風」な人だった。上手く指示が出来ない。汲み取れない自分がダメなのでは、と思ったけれど、その他の人の話を聞くとそーゆーふわっとした指示だからそれ以上の仕事はしにくいだろう、と当然のように同情された。

 

今の部署の上司のおじさんは、割と細やかな指示をくれる、私が何か読み取り違いをしようものなら、自分の説明の仕方が悪かったですね、と言ってくれ、私がちょっと気を利かせて+αの作業をやっておきましたというと「機転をきかせてくれ、大変助かりました、感謝です!」などと絶大に褒めてくれる。けれどきっとこの人は、自分が仕事出来る人だ、みたいな自負は多分ない。全方位に低姿勢で、ただ、毅然とはしている。

 

私みたいなトウがたった妙齢の女だと、新しく何処かにいくときっと使いにくいだろうな〜と相手に同情すらするのだけど、何故か今の部署、おじさんも、若い美女も、とても感じが良い。そんなに私のことを重荷にも面倒くさい相手だとも仕事出来ない人だとも思われていないような気がする。こんなコロナ禍で異動してしまったからあまり普段から顔を見ないのだけど、割と居心地がいい気がする。その分、踏み込んで親しくもならない感じなのだけど。

 

前職で、多方面にわたって踏み込んで親しい人かたくさんいた、みたいな大学のサークルのような会社にいた私としてはほんの少し寂しさも感じるのだけど、通信インフラはぴかイチで、当たり前に在宅ワークが出来る、というのはなかなかに恵まれている、と思う。

 

人のことアレコレ言っているけど、私は実は持論の「仕事できる人」指標に自分を当てはめてみると実は「あまり人に上手く指示が出来ない人」だと思う。

人に頼み事するなら、説明の手間も面倒だからつい自分でやりがち←これもダメな上司。

指示する立場なら、事細かに教え過ぎて多分ちょっとくどくなる。。。

あまり教えるのは得意じゃないと思う。

 

若い頃に思い描いてたような「誰かの上司」になることは今後、なさそうな予感がしてるけど。

 

たまには自分を、振り返る。

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ちょっとYouTubeを取り上げられて、散々悪態をついた後、数分経って自分で落ち着いてから「ごめんね、さっきはママにいじわるって言って」と自分から謝ってくる4歳児。何事も彼のように素直にいきたいものだ。

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