灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

いつも心にアンテナを

人は、大切な人を失わないように、と、自分を失うことがある。

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最近驚くことが多いのだけど、20代の人たちと職場で新たに出会うと、googleドライブを駆使し、ペーパーレスで、会議もオンライン、みたいな状況にコロナ禍の影響もあってそういうデジタルな物事にとても長けている。

 

一応、混ざって働いているのだけど、やっぱり私の周りの人の年齢はというと30〜45くらいの自分と同年代、それよりちょい下みたいな年齢が多くて、20代の人と出会う機会も少なめなのだけど、システム系のインフラが整っている状態の企業に就職する人が、当たり前に最新技術を駆使している一方、プライベートで付き合う同年代の人たちはそういうインフラ環境が当たり前ではなかったりして、ここで会話が断絶される/みたいな気分を最近よく味わっている。

当たり前に、経験職種によってそういう断絶は起こり得るのだけど、その、断絶された状態で、我が子のPTAなど、再結集させられて様々な人たちと同じ立場で渡り合わなければならない。

ほんの20年程昔でもみられた、携帯持っている人、持っていない人。

FAXを使用する人、使用しない人。

深夜の時間限定でネットサーフィンに勤しむ人と、ネット環境がない人。

どんどんパラダイムシフトしていって、つい最近だと、LINEを使っている人、使っていない人でも透明な壁があったような気がする。

どこのレベルが「スタンダード」かは分からないけれど、いつの時代にもどこかにスタンダードがあって、そこに乗り遅れると、どこかで自分で気づいてアップデートしないといつのまにか隣にいる人と異なる世界に生きているような感覚になる。

 

そして、それは誰にも教えてもらえないものだ。

積極的に自分からアンテナを張っていないと、気づきもしないで素通りされる。

 

これは割と恐怖なのではないか、と。時々。

常に最新の状態にいたいわけでは全然ないのに、いつの間にか時代に取り残される恐怖。

Windows 95からWindows10には、アップデートは出来ないのだ。間をいくつも飛ばしてしまうと自分は最先端までいっきにアップデートするのは至難の技。

 

20代の人たち。「若い人」と私の年代からは思いがちだけれど、時代の主流はすぐに彼らになる。意識も思考もアップデートしていく"クセ”をつけておかないと、と自分を戒める。

 

「今時ってこんな便利なことが誰でもできるのね」というのをどんどん自分に取り入れたい。

こんな便利な事=誰でも出来る当たり前のこと、になるのは、すぐそこ。

私なんて、情報処理の講義が大学で抽選だった時代。抽選に外れたから、大学では教わっていない。でも、卒業後10年はそれで通用したけれど、もう今はそんなことでは通用しない。

 

若い人たちの知識やスキルに驚いてばかりもいられない。

アンテナ、張らないと。

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今日は国際女性dayですね。ミモザはないので、アカシアの花を。

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