透き通った林檎
過去の連続で今がある、それって、ホント?
ホントに、ホントだろうか。
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今週のお題「下書き供養」
過去のblog(笑)画像も昔のまま。画質悪いなぁ…
2010/4/28
言いにくいから、話さない。
聞きたくないから、聞かない。
言いたいけど、言えない。
聞きたいのに、聞けない。
そんな話、ばっか。
その躊躇いで、永遠にすれ違うことだってあるのに。
大人だから?男と女だから?変わってるから?
言わないと、いけない。
逃げるのは性に合わない。
言った後にどうなるかは、今はまだ誰も知らない。
あー。
本音だけシンプルに、ダイレクトに、例えばテレパシーで読みとってくれればいいのに。サトラレみたいに。
相手の小さな嘘には気づいてしまうから、こちらからの感情垂れ流しでOK。気づいてしまっても、何も問いただすことなく、黙ってることだって、たまにはある。
私にだって。
でも、サトラレなら、自然と取捨選択されていって、キレイなモノだけ残るのに。
りんごジュース。
透明のモノと白濁したモノ。
どちらが好きかという質問で、意見が分かれた。
些細なコト。
でも、以前の私なら、
「濁ってる方が自然なままな気がしていいよねー!」
って、裏返しの嘘未満をついて、合わせていたかもしれない。
透き通った林檎ジュースの方が、はるかに好きだ。
嘘でも透明でいたいという志を表しているようで。
透き通った林檎なんて、売ってやしないのに。
自分が好きなものを、『それは好きになる価値があるよね』って言ってくれる人、って、好き。
その人が一緒に好きにならなくっても、だ。
そう言ってくれたカノジョは、さもあたりまえのように
「だって奇跡は起こるんだから」
って、言ってくれた。そーゆーとこ、ホントに好き。
そして、私と一緒。そーゆーとこ。
ものすごい無謀とも言える夢を、一緒に
『それは夢見て目指す価値があるよね』って言ってくれる人、って、好き。
きっと大望を叶えたその時に、横にいるのは、その昔そういってくれた人たちだけだろうから。
透き通った林檎は売ってなくても、
透き通った林檎ジュースの方が好きなのだ。
多分、それでいいのだ。
多分、きっと。