灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

最上級で唯一無二の「ふつう」

言葉を、選ぶ。

言葉は、選ぶもの。

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昔から「普通」という言葉が好きじゃなかった。何だか、普通という言葉を使った瞬間に、鮮度が落ちた、なんだかオシャレじゃない、つまらない何かにされてしまった気がする。

ふっと思ったけど、「粋」という言葉のいろんな面からも反対のポジションにあるかのような、目立たない、普通。

自分には勿論、その言葉を使われると不愉快な気持ちになるのに、私がたった一人、最上級の褒め言葉として「普通」を使う相手がいる。

 

小学校からの親友。小学校、中学校と同じで大学もバイトも同じだったT子。

彼女は何をとっても「ふつう」だ。いや、普通、より少し上というほうが当てはまるか。

勿論褒めている。例えば勉強は普通より少しできた。人当たりがよく、近所でも評判がいい。けれど特別な個性といえば、全ての点で「人並みよりちょっとできる」感じ。

運動もそこそこできる。小学校の時から普通ぐらいに?モテたし、高校生の時から彼氏がいた。16年くらい付き合ってその彼と結婚した。普通くらいの会社に入って、一つ年上の彼と暮らし、カスタマイズできる建売の戸建てを購入し、二人の子供がいる。

とりたてて派手な暮らしでもなく。化粧も派手でなく、肌が綺麗。めちゃくちゃ美人とかでもなく、ふんわりとした普通に綺麗な人だ。かわいらしい。

 

彼女にいろんな話を相談してきたりして語り合ったことは少なくない。彼女が私に求めることは、「幸せでいてほしい」「幸せになってほしい」どんなカタチでも、私自身が幸せと思える状態なら、他の人がなんと言おうと、本人の幸せの形だからそれでいい。

 

ただ、それだけ。

それだけを10代の頃から言われ続けてきた。こんな感覚の親友が身近にいて、私はかなり幸せ者だと思う。ホントに。そう言ってくれる人が、今の世の中どれだけいる?

 

でも彼女は特別な個性がズバ抜けてあるわけでもない。日常に不平不満もあったりするけど、うまくこなしたりする。

私がそこそこ幸せだから、彼女は私を安心して放っておいてくれる。そうお互いマメでもないし、日常生活に追われているから普段は殆ど連絡をとらない。けれどお互いそれでいい。連絡をとった瞬間、20代くらいのいつもの感覚に二人して戻れる。とても大切な親友だ。

 

友情ってのは、お互い安心と安定していると、ほんと自動更新されていくし、接触することはそんなに重要じゃない。と、最近常々、そう思う。

 

多分、こうやって、50歳になっても60歳になっても、当たり前に友情は続くんだろうなと確信している。「何事にもふつう」という特別な個性を持った友人だ。

 

彼女にだけは、最上級の、唯一無二の「ふつう」をプレゼントしている。

 

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