灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

枯山水

他人からみて幸せそうに見えるか否かーそれは実は当の本人にとっては何一つ関わりのないことである。

けれど中には、他人からみて幸せそうに見せることに全力を注いでいる不幸な人もいる。

 

…さて、真の幸せとは?

 

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夫が決断しない。決断力がない。と見える。

私は即断即決の江戸っ子気質(出身関西だけども)で、突き詰めてしまうとどうしてもそこが合ってない気もする。

けれど他の誰かには務まらない。彼の妻や私の夫は。

 

ある意味バランスの取れた、でもアンバランスな関係。

いざ家を買う、契約する、みたいな段階になって、今まで散々考えてきただろうに、「大金を使う」みたいな決断に怯み、今更過ぎるリスクとかをまた持ち出された。

 

いやいや、そこはもう随分前から考慮しているところなのでは?なんで今更蒸し返す?

ローン嫌いなの、気持ちわかるけど、そもそも今の時点で一円も出さなくていいとすら言っていて、「私の」ローンだ。

 

押し問答がこうも続くと、やっぱり最終的に決断できないのじゃないか、と私は疑い、あーもうあの家買えないんだ、買えないならああしよう、こうしよう、みたいな理想を頭の中で駆け巡らせるのもものすごくセーブしなければ、本当に買わない事になった時、メンタルの痛手が大き過ぎる。

 

いやいや。私がどれだけ件の物件のことでもやもや、悶々と、延々と、ぐだぐだと、試行錯誤し、ホントにあの広さで、あの感じでいいのか、とか子どもの進学で不利じゃないかとかも頭を悩ませて、それでもあの物件がいいから突き進もう、と決意を新たにし、いざ、もう、申込みしようか、という段階において。

 

リスクが、ローンが、売りたいときに売れない土地かも、進学が…てなんかもう、買いたくない言い訳みたいにすら聞こえてくるから、ほんっっとに私が自分の思考を止めないと、しんどくて仕方がない。いや、仕方がなくなる。

 

そんな事なら。

色々見越して仕事を変えるとかも急がなくて良かったし、周りに話もしてはいけなかった。もう、私は、すぐ、目の前まで、手を伸ばせば届く距離までその物件があるというのに。

 

もう。

 

なんでこのタイトルにしたのか、自分でもよくわかっていない。

でも今の心境にピッタリはまった。

ある意味押し殺した自分。でも、優雅な

静寂でもある。固いが流れがあり。そこに生命の息吹はない。温かさと冷たさが同居している、頭の中がぐちゃぐちゃしているけど妙にクール。

 

私即決して、そんなに後悔した事がないんだよなぁ…なので慎重派の気持ちはちょっと解りかねる。

 

というか、即決後、穴に落ちても這い上がるから後悔はしない、みたいな方が言い方としては正しいかもしれない。

 

もう、どれだけ、ネットや、カタログや、インスタの家アカを検索しまくって理想を作り上げようと考えまくってたと思ってるんだ…

 

ホントに、もう。←疲れ気味