灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

五里霧中。

何もかもが躓いたように感じる時、昔の私はどうやって打開してきたんだったっけ、と思いだそうとするけれど全くやり方を思い出せない。

一緒にいればいるほど孤独を感じる時はどうしてたんだっけ、と思ったけれど、よく考えると誰かと一緒にいて孤独を感じるなんて贅沢な悩みはきっと過去になかった。だって一人だったから。

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誰かの真似をする事で自分があたかもその人に近づけたような気になるのは何故なんだろう。

かつてこういうblogの書き方をしていた人を思い出した。冒頭に、本文とは関連のあまりない、書き留めておきたい「何か」を思わせぶりに書くのだ。

きっと私は彼に近づきたいのではなくって、彼の思考回路そのものを自分に取り入れたいのだ。誰かに憑依でもしないと、自分を保っていられる気がしなくって。

 

水曜の晩御飯以来こっち、ココロをシャットアウトされていて私の心も凍りかけである。

コハカスガイって言うけれど、よく思うのはカスガイでもあるけど、その前に、子の存在が無ければ二人きりなワケで、それって二人で解決しなければならないわけで、それはそれでどうにかしていたはずなのだから、子の存在が何かしら関連してる原因で揉めたのなら、なんか本末転倒というか、それもコハカスガイに入るのだろうかなんて、ふと。

 

このタイミングで勝手に動画をまとめて「メモリーが一件出来ました」と言って子供が生まれた頃の短編動画を見せてくるGoogle Photoよ…

 

生まれた時のオットの嬉しそうな顔と言ったら。パパって呼ばれて照れ臭そうにしてるその表情ってば。

 

私だって全力でこの子を守ろうと決意してた。なんで人間ってこんなに物覚えが悪いんだろう。いや、今だって全力で守ろうとしてるし全力で可愛がってるけれども。

産んだばかりの初々しいワタシのあの感性には多分今は敵わない。

 

パパとママがモメていると、きっと一歳半なりに気づくことがあるはず。そんな事で気を遣わせるなんて、言語道断だ。

 

オットは怒っているわけではなく、全力で悲しんでいて、きっかけがあると全くテンションが上がらない。多分自分でもどうしようもないのだ。殻に閉じこもってしまうかのように。

仕事の締切前なのも重なってるからなのか、食欲も全く無い。

 

私の心は針のむしろ。

剣山の上に正座させられてるような気分で綱渡りな日常を過ごしてる。

オットが消極的にしか私と話さない、近づかないという状態でも、日常は流れていく。

家事と育児が一気に私のところに集まって、落ち込んでるのにゆっくり落ち込むことすら許されない。

泣きそうなのは私の方です。

 

チョットツカレタヨー。