atonement
ーーー
今週のお題「下書き供養」
2010/4/22
孤独というものは、自分の意志によって自ら全てを拒否したときに、起こり得る。
全てを受け入れ、ただ周りと一体化しようと試みると、そこには自我というものがなくなり、そもそも孤独感なんていうものが存在しなくなる。
周りに身を委ねればいい。拒絶しなければいい。
疑心暗鬼になんて、ならなければ、いい。
自己を主張するように教育しがちな今の時代だけれど、主張しない、という選択による自己主張、もあるのだ。
ーatonementー『贖罪』
身を委ねていることに似ている。
自分の意志より相手の意志に身を寄せようと試みるのだ。相手の意識にシンクロするように。
相手の判断に任せて、それで自分を結論づける。
決して、周りに流されているわけではない。
そうしたら次第に相手の一部となって、言いたいこと、したいことが手にとるようにわかるだろう。
ピアノの邪魔をされるのが何よりキライな、気ままな猫みたいな友達が、きっと弾いてる時に私を邪魔に思わないのはきっとそういうことだ。
私からすると、彼女の脳内は飛び出していて、同じ波長で飛び出している私の脳内と、上手く絡み合うのだ。
どのポイントで注意し、どのポイントで褒めて更に実力を引き出せるかが、空気でわかる。
あんまり言葉は必要ない。
だから、彼女はこういうのだ。
「私(彼女)の、モチベーションを上げる能力が、すごい」と。
…で、その能力は、それに応える能力がある相手がいないと、全くもって、役に立たない。
価値は0。(笑)
って、気づいてる?
最近もう一人、そういうことを囁いた人がいた。
私のあまのじゃくな思考回路に、ついてこれる人はそうそう居ないから、かなり、貴重だ。こーゆー人たち。
でも、痴話喧嘩じみたコトも最近よく私を支配する。
…で、思うコト。私って、実は本音で話してそうで、結構な八方美人?だから、争いゴト、好きじゃないのよね。
仲間を守る為なら、いくらでも戦闘モードに切り替わるけど。多分。
そんなだから、基本的に好意をもって接している相手とは喧嘩にならない。今まで付き合ってきた人とかも、喧嘩って、基本、しない。相手の言うことが飲み込めてしまうから、そんな些細なことは、許せるから。
それを最上級の好きだと思っていたけれど、最近その上があるのかもと思うことがある。
本音をぶつけれるということは、私にとってはかなり希少。
…ってことは痴話喧嘩ができる相手って、私からすごいモノを引き出しているかも。
ま、相手からしたら不快かもしれないけど(笑)
雨降って地面とけて崖崩れしたら、悲惨なことこの上ないけど、雨降って地、固まったらまたさらにその先には誰も見たことのない風景が広がっているかもしれない。
贖罪は、stoicになることだけではない。
北の大地のあの人みたいな、可愛らしい贖罪の方法もあるのだ。傍若無人に振る舞うっていう(笑)
元の意味は、at one ment。 一体化、ということらしい。