灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

日日是好日

瞬間を、味わう。

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不覚にも泣いてしまった。

ランチ時に気分転換にとアマプラの「日日是好日」を再生した。

なんとなく続きが気になってそのまま全部観た。

これ、泣けるような映画だったのか。先に教えてよ。

 

日常を、一秒一秒を、雨音を、水の音の違いを、楽しむ。

心に染み入ってきた。そんなつもりじゃなかった。

 

これは、とても、いい映画だなぁ。

 

形式から入ったとしても、体が勝手に動くように、「習うより慣れろ」で繰り返す。

そういう物事で繰り返していくうちに、歴代の人たちが作り上げてきたからこそスマートな所作になっているということに、気づくことがある。

茶道と禅道が混ぜ合わさった、とても美しい、作品。

実際の登場人物の生死も合わさって、とても深みのある作品になっている。人の生死は作品の一部ではないのに。

 

そして、私は去年、突然父を失ったことをもう一度思い出した。

そうか、「ありがとうございました」でよかったのか。ありがとう黒木華

 

エンディングのチェロかな、ピアノとの掛け合い、とても美しい音色でした。

日本の映画は音が少ないけれど、それもまた、「侘び寂び」の世界だとよくわかる。

この映画は、更に音が少なかったけれど、静寂の中に佇む、という映画だった。

 

とても佳い。

 

日日是好日、胸に刻んで一日一日を、過ごそう。

最近少し、澱んでいたから。

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お題「気分転換」

 

「なんの時間なんだよ、コレ。」

下書きしてたのに保存しないまま、Macが壊れた。あーあ。

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オーマイボス、恋は別冊で。の、ドラマ。

間宮が言ったこのセリフが最終回、サイコーだった。

森派なのに玉森の言った「なんで僕がなみちゃんのヒーローかわかる?それはね…なみちゃんが僕の、」の続きに、いつも間宮にあれほどの名言を言わしめているのだから、おぉー!と言いたくなるようなスペシャルワードが出てくるな違いない、と期待してしまった。

 

「なみちゃんが僕の、特別だからだよ」

 

…え、普通じゃない?フッツー過ぎない?君は僕の特別だ、ってなんじゃそれ。誰にでも言えるし誰相手にでも言えてしまうじゃん。最終回においてズッコケたわ。

 

なのに間宮。

編集部の女性たちに「じゅんのすけくーん」と敢えて言わせて(副編昇格飲み会にもやってたからそーゆーネタ振りしたかったんだろうけど)視聴者を代弁して放ったセリフ。

「なんの時間なんだよ、コレ。」

 

そうだよ!その通りだよ!よく言ってくれた!本来の意味は早くなみ、潤之介に気づいたんだから行けよ、だけど、もはや私にはわかる。尺合わせの為に変な間合いいれたんだろー、と。でも間宮の完璧なツッコミ。

 

最終回、それしか記憶に残ってない!( ゚д゚)ハッ!

なんじゃそれーーーー!

 

突然出てくるカンボジア、突然出てくる3年半経過、突然出てくる記憶の彼方の「幼馴染ケンちゃんの芸人化」とYouTube

YouTubeの動画見て看板に気付いて渋谷にあるからって渋谷に駆けつけてからの椅子のところで再会って、有り得なくね?????

いつからいたんだ潤之介。行こうと思ってたけど会っちゃった、と尺合わせの為のセリフいれてきたし。

 

で、宝来麗子は副社長サンタマリアと同じ会社を立ち上げた、は、分かった。二人は結婚は、してない?のか?

 

これはもう、数ヶ月後にはスピンオフドラマ突然放送するやつだな。

 

あー。玉森くん、徹頭徹尾カッコ良かった。それは予測していたけど、何より、間宮の演技力とカッコ良さに気づけたドラマであった。

 

ガンバレ間宮。麒麟がくるとかBGとかも見てきたけど、今回の役が一番映えてた。

今後も追いかけて見続ける事にしよう。グフフ。

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お題「気になる番組」

 

 

究極の面倒くさがりって、多分こういうこと。

心配する、というのは愛ではない。

それに気づくのに随分遠回りしてしまった。

ーーー

私はかなり「イラチ」だと思う。生きている上で無駄なことばかりしてる割に、無駄なことを”させられる”事は耐え難い。

拷問の一種に穴を掘るだけ掘って埋める、また掘るだけ掘るの繰り返しをさせるというのがあると聞いた事があるけれど、あれなんて私に対する拷問としては最高に効果があると思う。

あ、いらちって知ってマスカ?どうやら関西弁ぽい空気をまとっているらしいけど。

素早く合理的にこなせない事にイライラしがちな人みたいな意味合いだと思っていただければ。

 

私はエレベーターに乗ると、目的階数ボタンより先に「閉」を押すタイプ。ドアが閉じてる間に目的階をおせば無駄がないから。待つ時間が減るから。

「段取りよく」が好きで、脳内で段取りを組んでいるから、キッチンに立つ時は一人がいい。

指示出してる時間が勿体ない。

あれやこれや作って温かいものを温かいうちに食べてもらえるように順番を考え、いただきますの直前に洗い物までほとんど無い状態にするのが理想的。まぁ単にこれは、食器を下げるタイミングでシンクに野菜の皮とかがあるのがとても嫌だから、という理由の方が強いけど。

 

段取りは楽しい。段取り組んで予定通りにいったときなんて、達成感で鼻高々。

 

ただ、マルチタスク型の人間かというとそういうわけでもない。長年マルチタスクな職種に就いていたし、とてもそれが性に合ってはいたのだけれど、「やりたくない方向のことが義務として発生する」と突如としてマルチタスクの全能感は何処へやら、全くの無能人間に早変わりするw

…そういえば、夏休みの宿題は、美術やら図画工作やら絵日記やらは、8/31に取り掛かっていた。そういう子どもだった。

 

この、要領の良さと悪さ、真逆のものが同時に自分の中に介在しているこの感じ、なんなんだろうか。

段取り魔の私、なのに、前もっての事前準備をするのはあまり得意ではない。その場その場で対応する事に対して段取りよく動く事に恍惚となる、という意味のわかんないコダワリ。

気分的には、うぉーっ!最高潮に合理的で動きに無駄がなかった!見てみて!!とめっちゃくちゃドヤ顔している感じ。

 

この特異体質(そうか?)、何かに活かせないかな。

自己紹介で特技はとか聞かれて毎回困っていたけど、「段取りを組むこと」とか言ってもいいかな。あ、でも宿題は後回しタイプだから、そう自称して頼まれごとをすると厄介だな・・・

 

洗剤やらシャンプー、いつも配送を頼んでいるアイスコーヒーなど、切らすのがイヤで、あと少しだな、と思うと3分後にはもうAmazonでぽちっている。(ちなみに、定期配送ができな商品なのだよ、我が家のコーヒーは。)

あの定期配送システムを採用してくれてるAmazonにはホント頭が上がらない。最高っす。

 

イラチで段取り魔の私が、一番「物事が合理的に進められない」とても相性が悪そうなのが「子育て」だと思う。とりあえず、全ての物事が思い通り進まない、途中でとめられるからエンドレスに達成感がない。それが子育て。

けれど、意外と自分では子育てと相性はそんなに悪くない。不思議だ。

何がどうなってそうなのか、解明できて言語化できたらいいのに。

 

段取り良く合理的に動こうとすることの、根本の理由としては、私がめちゃくちゃ「面倒くさがり」なことがあると思う。面倒くさがりの人は基本、面倒くさいのでまわりまわって面倒くさくならない、最短のルートを採るのだと思う。のだけど、どうだろう。私だけ?どうですか、面倒くさがりの皆さん。(そんなに居るのか?果たして)

 

そうやって思い返してみると、自分の性格が、面倒だから〜のように動く、と決めていることはいくつもある気がする。

・段取り良く動こうとする(結果的に時間短縮になるから面倒くさくない)

・嘘をつかない(嘘をつくと、それを補填する嘘をつかなきゃいけなくなるし、それが嘘だと覚えておかないといけないのが死ぬほど面倒くさい)

・全員に挨拶する(会社、保育園、近所の人。なぜなら分け隔てすることとそれを記憶しておくことがめちゃくちゃ面倒くさい)

・人にあまり頼まない(頼んだ結果実行されているかを確認するのが面倒くさい。それなら自分でやったほうがマシだったりすることが多い)

・悪戯電話や不要な営業電話の番号を全て登録している(次かかったときに取るとイラっとするのと対応するのが面倒くさいから)

・・・まだまだたくさんあるのだけど、割愛。

 

もしかして、面倒くさがりだから、意外と上手く成り立っていること、あるんじゃない?

SEさんとかも、究極の面倒くさがりで、ボタン一個で作動するシステム作るのが好き、みたいなのも聞いたことある。ホントかなw

 

就職面接するときに、「面倒くさがり」を長所として出来るだけ面倒くさがりの人をたくさん雇うとどうなるだろう。・・・うまく転べば合理的な人たちばかりで、ONとOFFをうまく使いこなせる和気藹々な会社に・・・なったりしないだろうか。淡い期待。

 

面倒くさがりが時代を引っ張る日がくるかもしれません。

いやぁ、自分で言ってて何言ってるのかサッパリわかりません!

 

初めてフリー素材なるものを貼ってみた。↓雰囲気出るなぁ…※今までのは私が撮影。

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タイトルが思いつかない。

ホワイトデーって、外国にもあるんだっけ?

バレンタインデーの意味がそもそも、外国と違うからなぁ、なんだかな。

本来の元になっているバレンタインの方が、美しい気がするのだけど。

ーーー

子どもが父親と寝室で爆笑している。こんな親子関係を別室から眺められるような環境は一言でいって最高以外の何者でも無い。

ワタシ?私はもちろん、リビングで一人でスパークリングワインを飲んでいます。

ふふっ。幸せ。

 

今日は雷鳴が響き渡り、子どもと興奮し通しの午後だった。とはいえ、YouTubeか、トランプか。そういう遊び方にハマっている我が息子、プラレールで遊んでくれているうちは一人遊び得意だったのに、トランプとなると、相手が必要で。

神経衰弱、じじぬき、スピード。4歳児ってこんなにカードゲームできるのか。知らなかったぞ。しかも、割と真剣にやって、神経衰弱、今のところ2回負けた。マジか・・・

私も小学校一年くらいはやたらと神経衰弱得意で、いとこたちを巻き込んでやって、勝っていた記憶。と、思ったら、夫にも「小さい時かなり得意だったんだよね」と言われる。まだ夫は子どもには負けていないらしい。・・・さすが、超高学歴だけ、ある?のか?w

 

今はアルコールが入っているので、入りまくっているので、今夜は取り留めのないブログ。

毎日書こうとか決めているわけではないけど、ちょっとスターもらえたり、読者登録されました、とかアクセス数があがっていると、めちゃめちゃテンションあがってます。

ホントありがとうございます。

ちょっと文章かいてて楽しいなーみたいな気持ちが戻ってきている気がする。Twitterとか流行った?おかげで、すっかり長文難民なんですけど。

 

そういえば、私、雷の雷光はきれーと思って眺めるタイプ、でも雷鳴はめっちゃ怖がる、みたいな人だったはずなのに、子どもが2歳くらいで怖がって大泣きしてたら、なぜか自分までいつのまにか克服していて、あんまりいい気はしないけど、ぎゃーって叫ばなくなったw

母は強し、ってこういうこと?どうでもいいけど、MAC変換、母は剛って三回出てくるのやめて欲しい。ワタシ剛じゃない。

 

最近ちっとも飲みにいけないから、週末はきっちりアルコールいれて、ご飯もお酒に合うようなものを作ったりするんだけど、(ためてるレシピはもう一つのblogの方でどうぞ。)

今日の晩ご飯は豚肩ロースブロックのポットロースト、でした。ずっと諦めていたオーブンでの鍋ごと調理、我が家のル・クルーゼは蓋が金属じゃないなーと思って新調しようかと思っていたら、なんと、あの蓋190度まで耐熱OK、オーブンOKとのこと。素晴らしい。

ということでお試ししたらめちゃくちゃいい感じ。ガーリックやハーブと合わせて焼いただけ。激ウマでした。

・・・って料理ブログと混同しているーアルコールのせいってことで・・・!

 

それでは皆様、良い夢を。

幼児の母の就寝時間は早いのです。

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お題「ささやかな幸せ」

「ナニーメイド」誕生。

褒められて伸びるタイプは多分褒められなかったとしてもそこまで伸びている。

褒められず伸びなかったタイプは褒められたからといって伸びるものなのだろうか。

「私褒められたら伸びるタイプなの」という言葉は、なんとも、滑稽だ。

ーーー

もうすぐ近くに住む元同僚の友人に子供がうまれる。確か、彼女は41歳のはず。初産だ。

こんなコロナ禍の時期だから余計大変で。パパになる人は病院に行けるのだろうか。

彼女は数年前に母が他界していて、一人っ子。身近に「同性の」出産を経験した人がいない。(義母や義姉などは他県にいるけれど)

そういう状況で妊娠報告を受け、え、うちから自転車で15分!?それ、めちゃめちゃ私の出番じゃないのーーーーっ。

 

と、いうことで。

私平日昼間はフルタイムで働いている、が、在宅。ほぼ在宅。

生まれたら一週間に2回ほどは少なくとも、なんらかのお手伝いに駆けつける。

パパはあまり育休が日数取得できないようだし。これはもう、私のミッション!!

 

新米ママって、とりあえず産後1ヶ月、外にでるのも水仕事するのも、避けた方がいいってくらい、体力落ちてるもの。更にホルモンバランスが崩れて、今まで気にならなかった夫の言動がこれでもかってくらい、気になる。気に障ったりする。

その状況で、産んですぐに先輩ママがいない、同性がいないというのは、かなり、キツイ。

私は、すみません、実家に帰りぬくぬくと3ヶ月も滞在してたので、あんまり大変じゃなかった、と言える。3ヶ月経てばね、なんとかなる。なんとなくペース掴めてくるし、こんな不安定なママでも許されるかなーとか心の中で泣いてた時期を少し脱する。

 

ナニーだ。めのとだ。乳母だ。春日局だ。(いや、子供将軍じゃないか)

それになるのだワタシはw

色々調べたんだけど、産む時は助産師さん、子供を養育するチャイルドマインダーとか保育士とかの資格はあるけど、産んだばかりのお母さんをフォローするには何が必要かって、教えてくれるところは実は少ない。二つ程見つけたけど、やたらと講座のお金が高かったり、資格が登録更新制で毎年数万円かかったり、と、こういう素人一般ピープルが手を出していいものではなかった(笑)産後ケアリスト、とか、ドゥーラとか。

 

いや、もうちょっとさ、手を出しやすい勉強法、確立して欲しい。もっと調べればあるのかもだけど。というかもう自分で立ち上げたい。

資格とかじゃなくていいのよ、別に。

サザエさん的な「ちょっとお隣さんお醤油貸して」ていう昭和文化が廃れて核家族だらけになって、夫の転勤についていったりしたらもう、妻って、かなり、孤独だ。働いてると、孤独感は減るけど、その先に待ってるのは「保育園落ちた日本死ね」だったりするわけで、身近に実家があったり、遠方でも来てくれる母親が健在かどうかで分かれ道があるし、そもそも高齢出産が増えてるということは、その母(ベビーにとって祖母)もまた高齢だったりするのだ。

 

そして無駄に情報社会。利点も多いけど、洗練された情報だけが耳にはいってくるわけではない。余計な情報にぶち当たると、妊婦さんなら不安倍増。出産なんて未経験なら、「怖いもの」以外の何者でもない。育児なんて、未知数過ぎる。

 

そんな中でロクに男が育休まともに取りにくい社会。必然的に初めの育児は、出産後1週間程で退院したら、9割は、母の担当。

こういう世の中で、産後ママの精神は、押し潰される。子どもが可愛いのは、全然別の話だ。

 

ほら、ほら、ほら。

三者の、ちょっとお節介な、出産経験のある近くに住む女性。ちょっと必要性高まってこない?(笑)

別に特別な何かをするわけではない、例えば次の感じ。

・1〜2回分の授乳(ミルク作成〜ゲップ〜食器洗い、寝かしつけまで)で、その間にママに昼寝してもらう

・日常の買い物

・食器洗い

・沐浴お手伝い

・ご飯作り

・ママの話し相手

・洗濯物たたみ

 

こんな感じ?ヘルパーとナニーをちょっと混ぜたような。

平日昼間の3時間とかでいけるんじゃないだろうか。ただ、平日昼間に空いている人となると…もしかして、幼稚園に子どもを行かせているお母さんがマッチングするのでは✨

 

ま、でもコレは、仕事としてはなかなか難しい。幼稚園に行かせてるママは子育てに疲れてる場合もあるし、いやでも新生児に癒されたいベビー好きは割といるかも?

 

というか、仕事でもバイトでもホントはないんだよね。新米ママがリラックス出来ないとダメだから。でももしかしたら、需要はめちゃくちゃあるのでは…産後鬱や育児ブルーに陥らないためにも。

一対一で子どもに向き合ってると、その事実は幸せ感じたりするんだけれど、社会からの疎外感というものが、半端ない。「育休中」で何処か組織に属せていても、産後復帰とか考えるとブルーになる以外何者でもない。社会からの疎外感は感じるけれど復帰したくない、まともに仕事出来ないかもしれない、みたいな不安。

仕事してない場合は尚更。孤独からの卒業、させてあげたい・・・。自分が経験してきたからこそわかる、孤独感。いや、私は実家に甘えてましたけれども。あの産んで半年ほどのあの精神状態って、ホントちょっとイレギュラーすぎて説明しきれない。たまたま、我が子に120%愛情注げるタイプだったから疲れつつ癒されて助かってたけれど。

 

センパイママの時間の有効利用、新米産後ママとのマッチングアプリ。報酬は、新生児を抱っこできます!←てだけで私応募できるわw

誰かアプリ開発求む。

もしかしたら、紹介制とか人づてがいいのかも。

あとこれ、多分事故が起こりにくい。

預けてしまうのではなく、家にママもその人もいるのだから。異変があれば即ママを起こせる。

マッチングアプリだけでなく、そういう資格、でなく役?係?の一通りの知識や決まり事を策定しておく講座。そういうのも必要だな…

 

てコレ、私事業始められるんじゃない?w

なーんて。

 

そーゆーわけで、今週産む予定のママの、ナニーメイド(私の造語)してきまーす✨

冒頭に言ったけども、「在宅ワーク中」です。ぐふふ。PCもってランチタイムに移動するんだ…フフ。

勿論、むこうで仕事はしますよ!!!w

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今週のお題「〇〇からの卒業」新米ママの、孤独からの卒業、ってことで。

 

寮母さんとかになってみたい人生だった。

1秒時計の針が進む度に体内の細胞の何処かが生まれ変わっている。つまり、1秒前の自分と今の自分とは、同じ自分ではないということ。

ーーー

とあるドラマ(ドリームチーム)でバスケの顧問をやっていた夫と共に、そこの寮母さんをやっていた余貴美子さんがいて。

「初めから寮母になりたかった、なんて人いないわよ」というセリフがあった。

ちょっと、引っかかってしまった。だって、10代の頃の私の、幾つかある夢の1つに、学生寮みたいな下宿を経営していて、そこで下宿人たちにたまにご飯を振る舞うような、寮母さん的な存在があったから。なんだっけ。あだち充の漫画にそういうのがあって。そういう、内輪で和気藹々的な、その中でも食を司るという、脇役であって脇役でない、そういう温かな存在に酷く憧れたから。

もちろん、土地も建物も持っていない、そんな私が寮母さんとか下宿者のおかみさんみたいなのになれたわけではないのだけど、みんながみんな、なんとなくプライベートを共有していて、その中で起こり得る人間ドラマみたいなものに「浸かっていたい」みたいな願望があった。

だから、初めから寮母になりたかった、なんて人、此処にいますー!!

って、叫びたくなった。叫んでないけど。

 

多分、ちょっとやっぱワタシは変わっているんだろう。それも個性でいいのだけど、割としょっちゅう思うこと。なんだか、周りにいる、似た環境の人たち、クラスメイトとか、近所の人とか、そういう人が当たり前に考える、標準的な考え方、が、もしもあるとしたら、随分私は思考が掛け離れている気が、する。していた。

 

そういう、ささやかな夢みたいなものはもちろん幾つもあったから、他にも、「年寄りになって町のはずれにある一軒家に住んでいる、町の大人たちがあそこには近づいちゃいけませんよ、と言われるような、でも子供達からはこっそり大人気のおばあさん」みたいなものになりたかったりした人生だった。(こっちはまだ、可能性はゼロじゃないな、うん。)

他にも、児童養護施設のようなところで住み込みで働く人とかになりたかったし、普通の夢としては新聞記者にも、弁護士にもなりたかった時期があった。

何故か中学の時とかは、すっごい厳しくて他の生徒が避けたがる国語の先生がとても好きで、その先生を慕っていることがもう一人の人気のある国語の先生に気付かれていて、そちらにはあまり好かれなかった記憶などもある。二人とも女性の先生だ。(このエピソードは、いつか、またそのうちに。根深い話がw)でも中学の好きな厳しい先生に惹かれ、国語の教師になることも夢見たりした。

 

自分のことを変わり者とか、ちょっと異質なのかとか思い出したのは、いつのことだったろう。多分私の母親がやたら個性の強い、その時代にはあまりあってなかった人だったことの影響が多いかもしれない。

 

そのドラマを見た、今実際に寮母さんをされている人は、どんな心境だろうか。

できれば、私みたいに「なりたくてなったんだよ〜そういう私もいるから!」とテレビに悪態?をついていてほしい。

 

というのが、ほんの希望です。雪柳の、季節ですね。

あのドラマ、よく出来ていて、割と面白いです。特にアラフォーの私には。

 

お題「気になる番組」

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デカルトとはきっと恋愛できない。

「世界中の人が協力して、何かを成し遂げたことがありますか?」

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デカルトは「全ての物事をまず疑え、否定しろ」という思想らしい。

まぁ、自分の考えを持ってみる為に必要な考え方への道筋、なのかもしれないけど、そして疑わない事は自分を思考停止させる、愚かになる、知識を知恵を発展させない、というような意味合いでは正しいのかもしれない。

 

但し、私が思う、「恋愛観」はちょっと違っていて。よく、相手を信じろ、信じ抜け、それが愛だという言葉を聞くけど、そもそも「信じよう」と自分の中で決めること自体、ちょっとズレていないか。

相手を信じようとする気持ち以前に、相手を「疑わない」が必要だと思う。

信じようとしなければならない相手、ではなく

端から疑う必要性のない相手、を選べばいい。

というか、そういう相手じゃないと、もし仮に好きになってしまうと、自分が搾取される。擦り減っていく。

 

友人で、「ボクは彼女を信じようと決めた」と私に言った人が居て、あぁ、もうこの人は、その時点で辛く苦しい愛情の在り方を選んでしまったんだな、と感じた。

その言葉を第三者に吐く時点で、きっと彼女を信じてはいない。信じているということにならない。疑ってしまう自分を、押し殺しているだけだ。

きっと、「信じよう、と決める」恋愛は、長くは続かない。全ての物事を疑ってかかれ、というデカルトと、私は恋愛はできない。いや、全ての物事を疑う人、という人を俯瞰するとかえって恋愛の「こちらが好きになる」という事は出来るのか。

 

但しそれは、修羅の道。

 

だよね、と思いつつ。

いろんな愛の形があっていい。それを選んだら、選んだ時の自分を否定しないためにもその愛を貫き通せ、とは思わない。きっと数年前の私ならそう思っていた。

なぜかというと、選んだ時の自分、から今に至るまでに、それなりに何かしら成長とか知見が増えるとか、人間だからあるわけで。その過去の自分を否定しないように、今の自分を押し殺すのは、無意味な気がする。その時点、その時点で、最良と思える選択をしているはずだ、今この時も。

若い頃の恋愛と、色々熟した後の恋愛、視点が違って当然だ。

私は過去に好きになったり付き合ったりしてきた人たち、全員に幸せでいてほしい。

恋愛一直線、な私なので、実は自分から去った人は一人しかいないと言っていいんじゃないかと思うのだけど、それも、その人も幸せでいてほしい。

 

例えば別れたりすることはとても、勇気が、エネルギーが、要る。けれどそれまでのその人との時間が無駄だったんじゃないかと躊躇うことは必要ない。サンクコストに捉われてはならない。

そこで勉強して次に足を踏み出せばいい。二人して不幸になるより、その方が幸せな人が増えると思う。癒される方を、楽になれる方を選んでいい。

 

物事は常に、選択の連続。自分が楽に生きられるように、最善の選択を採り続ける気概が必要だ。いろんな物事を疑ってみる、常識を疑ってみる、は必要かもしれない。けれどこの人を愛そうと思ったら、その人だけは疑わない。不平不満は、ぶつけてもいい。そして。そういう自分を保っていても、相手が変化することは有り得る。だから、そういう疑わない自分を保ったまま、相手がもしも変わってしまったならば。それは違う選択肢を採ることも考慮していい、と思う。

 

自分にとって最良の選択肢を常に。

 

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文頭の答えは、「天然痘の根絶」です(^^)

お題「わたしの癒やし」

こういう話をすること自体、私にとっては癒しになっているんだけど、このお題は違うのかなー。どうなんだろう。ということで、リラックスしてるっぽいライオンをあげておくw

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