灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

give give give give gift give takeくらいの割合

愛は「与える」ものとかいうけど、

罪人を「赦せ」とかいうけど、

与える、赦す、という言葉が既に上から目線で気に入らない。

私が、捻くれているのだろうか。

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タイトル通り、割と老若男女問わず、めちゃくちゃギブしてたまにテイクくらいの割合で丁度バランスが取れてると普段から思っている。

 

1ギブして1テイクする関係性ばかりだとすると、きっと私は1テイクを毎回待つ、ものすごく打算的な女に急降下する自信がある。(なんの自信なんだか)

 

そういう自分の中の決めた概念で生きてて、一つ疑問に思う事が。

 

「本」

 

本って、人類の一番初めの人が(大袈裟に書いてるけど)まず誰かに「読ませて」貰わないと、その本の価値は誰一人知りようがなくて、知りようがないものに普通は価値はつけられないはずで、価値がつかないものならその「本」を、対価を支払ってまで読もうとは、しないのではないかと。

 

本って、物体だけど、概念的でもある気がする。生まれてから何年か経って、誰かに本という存在を先にギブしてくれた人が必ずいて、そうでなければ本から知識を得ようとは、知恵を得ようとは考えつかないはずで。

 

そう考えると、本の値段というのはちょっと不思議な感じがしてくる。当たり前に書店に並ぶ本たちは、まだ中身を私自身は知らないのに誰かによってその本の価値の代名詞でもある「価格」が設定されている。

先に支払う、ことで後からその本の価値を、読んで後付けしていく。読んだ後でこの価格は不当だった、みたいな事もあったり。

 

全く知らない名前の作家の本を買って読んでみようと思うのはなかなか難しい。手に取らせるのは難しい。

blogや記事など先に無料でギブしていて、初めてそこに価値を見出す人がいるかもしれない。

 

とある文筆家が似た考えをもっていて、自分の作品は引用等未来永劫無料でご自由に、と言っているのを読んだ事がある。

その人はたくさんの読者がいるからこそ、更にその価値が読者から本人に帰依していくのだととても納得した。

書くことを生業としてしまえば、どうしても利益が必要だから、金額が設定されるのは仕方のない、当たり前のことなのだけど、物事の最初の方、というのはとても大事だ。

 

"情けは人の為ならず めぐりめぐって己がため"

 

古典落語で使われたこの言葉がとても好き。

ちょっと上で私が言いたいコトと共通している気がする。

 

give give give give gift give & take

 

 

多分そのくらいが、丁度いい。

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お題「気分転換」