何かひとつだけのことを向き合いたい。
昔から。
妙な願望があって。
普段から割と忙しくしているというか、忙しいのが好きなのか、そもそも実は忙しくないのに
忙しいフリが得意なのかはよくわからないんだけど、割と普段から忙しい私としては、
やりたいことが山ほどあって、その中でも、「3日間、牢獄みたいなところに自分と本だけ山ほど置いて出られない環境で過ごしたい」「3日間、ピアノと私だけ置いて世俗から離れてピアノ三昧がしたい」「3日間、書道道具と私だけおいて(以下略)」みたいな願望がある。
その気になれば、多分夫は「いいよー1日、半日、フリータイムにしても」とかも言ってくれるのだけど、なぜかお膳立てされるとやりたかったそれ以外、に時間を費やしてしまいがち。
1日の時間が長くなったり、短くなったり。
有意義かどうか、でその感じ方は変わると思うけれど。
はいどーぞ、今からあなたはフリータイムです。さぁ、何しますか?とされると
どうも「やりたかったこと」を忘れてしまいがち。何故なんだ、私の脳よ。
最近ひとつだけ、ここのblogの裏で書いている、料理レシピ。
このレシピを、販売とかのためでなく、自分のためだけに、「書籍化」したw
毎回毎回、レシピを検索したりしては作って、もう一品作るのに別のタブレットも駆使したり、とかやってたけど、ちょっとスマホ見たい時に子供が使っていたりして、毎回検索するのもなぁ、と好きなレシピを記憶に留めるために。
まだ発注段階だけど、編集が終わって注文、をクリックした時の高揚感。
うん、やっとやりたかった事をひとつ、達成した。届くのが楽しみ。
本。
本好きで、小さい頃から読書ばっっっかりしてたけど、高校生くらいから一時期本が読めなくなった。本に惹かれることが減って、「読み終わらない」自分の本というものが出てくるなんて信じがたかった。
ちなみに、一番最初に読み切らずに長年放置した本は「ソフィーの世界」。
もっと時間が経ってから全部読んだけれども。読み終わらない本の存在が嫌で仕方がなく、ずっと心にひっかかっていた。
夢中になれる本は、できれば食事もとらずに読み終わりたい。ずっと、誰かに話しかけられたりして中断することなく。
けれどそれが叶わない今、本を手に取ることが少し怖い。
そうやって、私の家には積読本が増えてきた。気になる本は、惹かれる本は、今は多いのだ。
それで、最初の妙な願望に話は戻る。
多分本を読みたいのだ。感情を思考で溢れていた10年ほど前と違って、今は「100くらい何かインプットしないと1つのアウトプットがしにくい」時期らしい。
10年前に私にそう言ってた友達がいた。
彼女は私のことを「引き出しが多い」と言ってたけれど、もはや今はその引き出しは空っぽに
近い。
多分、そう私が不幸じゃないからなんだろう、と思うけれど、
思考や感情が溢れて引き出しにおさまらないくらいの感性で過ごしてた時期を思うと、
その時期と今とでどちらが幸せでどちらが不幸かというと、ちょっと即答できない。
多分、読みたい。読みまくりたい。
書きたい、書きまくりたい。
弾きたい、弾きまくりたい。
筆をとりたい、とりまくりたい。
吹きたい、吹きまくりたい。
観たい、観まくりたい。
バランスが大事って自分では思っているし、わかっている。
けれど過剰摂取を心が求めることだって、多分あるのだろう。
3日間も何かをしまくった後はきっと、現実の世界に戻るのに時間がかかって、
体力も落ちて、なんなら体調崩したりするだろう。
けれどその3日で、きっと何かを得て帰ってこれる、そういう気がしてならない。
・・・ただの、戯言です。