灼熱の木曜日/日々、徒然。

日々、思うことを書き綴っています。

(I,A)≠(I,B)∴A≒B?

絶望の淵に立ったことのある人はどのくらいいるのだろう。

これは、化学反応のおハナシ。

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20100517

誰かにとっての絶望の日が、
誰かにとっての希望の日となることがある。

でもそんな日を、喜んだり悲しんだりするのは、
きっと未熟さからくるものだろう。

そこもうちょっと超越したら、ラクになれると思う。
多分、近いと、思う。その日も。

それが、諦めからくるものか、悟りからくるものかは、
今はまだ神のみぞ知る。

誰かを不幸にしてまで幸せになる気は毛頭ない。
誰かを傷つけて成り立つ幸せは、きっとホンモノではないから。「長く」続かないから。

短気だからこそ、「永く」続くモノしか、要らない。

口にした言葉よりも、
口にしなかった言葉の方が、気になる。

それが私らしい。

昔の日記を読んで、あぁ、やっぱり私は私だな、と思う。
友情も恋愛も、人間関係の私のスタンスはここだ。

ラブレター - 灼熱の木曜日/日々、徒然。



例えばわかりやすく、元カレと元々カレが同じ「元カレ」というジャンルかというと、それは絶対違う。

私とA氏、という関係と、私とB氏、という関係なだけだ。けれど「~な関係」って、言葉によって落ち着かせたい、落ち着きたい欲求は、多分自分の女脳からくるものだと思う。
A子とB子。同じ心友でも、私とA子、から発生するものと、私とB子から発生するものは、全くもって、似て非なるモノ、だ。

やっぱり、「私とあなた」の関係の独特の色合いを放つ。
でも、異性と違って同性は、取り合わなくていいという点でわかりあえるのかも。共に守りに入る側として。

女は守りに入らないと、全てを失うことがあるから。

男の言葉に勝手に安心感を覚えるのは、あまりに危険だって、知っているのに。
言葉は必要ない、けど、言葉が欲しい。でも、欲しいのは言葉だけではない。


明らかに大きな矛盾。


どこに向かいたいのか、私。

心底に、「優しさ」があれば、それで充分なのかも。
何を言われても、何を言われなくても。

表面的なところに、囚われるな、ワタシ。