好きと嫌いについての考察?
冒頭でネガティブなワードを入れるというのは、なかなか自分でハードルをあげているという事なのでは?例えば、こんなふうに。
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つまらない話しかしない人とのランチタイムを毎日のように過ごさなければならない事。それが私の人生にはものすごく無駄な時間で、仕事を辞めたくなる理由にすら、なり得る。
私は多分、かなり面倒くさい人間だ。
群れるのは好きじゃないし、かといって集団の中にいて一人なのはとても居心地が悪い。
誰かがそれは、「個人主義」なのだ、と言っていたけれど、そうなのか。
群れるのは好きじゃないと言いつつ、「ヒト科ヒト」にとても関心があり、関心を引きたいと思っている自分もいる。
ある集団の中での、自分の居心地のいいポジションを常に探している。ということは、潜在意識的には「そこに居たい」のでは無いか、と自分に問うてみたり。
意に沿わないヒトと共に時間を過ごすのが苦痛なだけだ。ただ、自分でも意に沿うヒトと沿わないヒトをどこで線引きしているのかは把握していない。
私はどこで「この人そんなに好きじゃないタイプ」と、線引きしているのか。
異性ならまだわかる。本能として、父親と似た性質の人に恋愛感情を抱かないように、生命の存続の為にそういう機能が備わっているらしい。だから好きにはならないタイプ、はある意味納得できる。
では、同性は?
大昔は一夫多妻制だった、とか考えると異なるタイプというのは恋敵になり得るし、(=自分が子孫を残せない)逆に似たタイプならどちらかしか選ばれない…どっちもダメじゃん。
もしかして、女は女同士、仲良くなれない生き物なのでは…いや、まさか、そんな。
小さな頃から仲良くしていて、今でも仲良くしている女友達たち。
この中に、私と恋愛対象がカブる人がいるかと聞かれると、多分、確かに、いないかもしれない。好みがカブると、何かとモメたりするし、それを本能で察知して初っ端からハナについたりして、仲良くなれなかったり、とか、ある?
もしや。
若い時から、仲良くなれない苦手な女の人はそれなりに沢山いて、その殆どが、「異性に媚を売る」ように見えるタイプで、総じて女同士で話している時に「話がつまらない」のだ。
だからと言って、私が異性に媚を絶対売っていないかと聞かれると、それはそれで、自信はない。多分自分好みのイケメンだと、ほんの少しプラスで優しくしてしまったりしてると思う。そりゃー誰だって好みの人には好かれたい。
それは私が既婚者とか、ママとか、そういう事はきっと関係ないのだ。
でも、私がニガテとするタイプの女性、胸元を意識させる服装をする。人の携帯をパッと取り写真を覗いたり。香水が異常に強い。嫉妬で機嫌がかなり変わる。マウント取ろうとしてくる。一見親身で、表面的だから深みがない。テンションが高め。
…と細かく書いていると特定のたった一人しか居ないのでは、みたいに感じるかもだけど、コレを書きながら私、過去にすれ違った7人程の女性をサラリと思い浮かべる事ができてしまっている。ちょっと、多い気が。
何故か浮かんだ彼女たち、初対面の時から私の脳裏に警戒信号が発令されている。けれど、職場だったりそういう自分では変えられないポジションに置かれた時にものすごく近くにいる。
呪われてたのかしら(笑)
「そういうタイプ」なので、実は今はほぼ周りに居ない。なんせ、私はママで、出会うのは保育園のママたちや先生で、職場でも私を恋愛などでライバル視しないといけない理由がない。
一瞬チラリと「自分がオワコンだからでは?」と浮かんだけれど、そこはまぁ、肯定も否定も今回は置いておく事にする(苦笑い)
もう一つの方の、苦手な女の人の特徴、「話がつまらない」というもの。コレについても、じゃあ私自身は話が面白いのかと聞かれると、全然全くそんなことはなく、むしろ面白い話を求められる関西が苦痛で東京に逃げてきた、みたいなのもちょっとだけある。
関東はラクだ。オチは求められない。でもオチつけてしまうけど。妙な内輪感や、排他的な感じがしない。
「東京は田舎者の集まり」というけれど、その事は素晴らしくて、自分自身を「他者」だと思っているからこそ「排他的」にならない。とてもいい特徴だと思う。
あぁ、そうだ。
今頃気がついたけれど、さっきの苦手な女の人タイプ、全員が全員、地元で出会った人だ。
地域が変わればそれなりにかなりいろんなタイプの人と、出会える。
世の中は割と広い。
小さな範囲で線引きしてこだわってる場合ではない。
線引きするなら、自分と他者、それだけでいいじゃないの。